[ANALYSIS] Lucien van der Walt, 2020, “Building the Union for the Future: Linking Bottom-up Workers Education to Union Revitalisation”

Lucien van der Walt (2020), "Building the Union for the Future: Linking Bottom-up Workers Education to Union Revitalisation," Amandla, number 71/ 72, pp. 32-34 PDF of this article HERE This article is based on a plenary talk at the Michael Imoudu National Institute for Labour Studies, Ilorin, Nigeria, in November 2019. DISCUSSIONS OF UNION education and … Continue reading [ANALYSIS] Lucien van der Walt, 2020, “Building the Union for the Future: Linking Bottom-up Workers Education to Union Revitalisation”

[TRANSLATION: Japanese] 中国はアフリカの新しい帝国主義権力なのか?

中国はアフリカの新しい帝国主義権力なのか?, from Anarchy in Japan. 中国の温家宝首相のアフリカ視察は、中国とアフリカ諸国・アラブ諸国との貿易関係を促進することに重点を置いており、最近の重大な発展を浮き彫りにしている。英語圏アフリカにいる革命家たちは、常に、英国とフランスをこの大陸に対する主要な帝国主義権力だと見なしてきた。だが、他の勢力が影から現れ、植民地独立後も続く英仏の支配に挑戦している--これは、米国だけではない。南アフリカの無政府共産主義者は、通常、元英国植民地である南アフリカを、帝国主義に従属する権力の役割を果たし、大資本家の権力とこの地域自体の資本家支配階級の利益となるように行動する、以前と同じ一種の地域警察のようなものだと見なしている。スワジランドにおける英国の利権が民主主義運動によって脅かされたなら、南アフリカ軍がスワジ族のエリートを支援すべく介入することは間違いない(一九九八年にレソトに対して行ったように)。 しかし、国際情勢は変化しており、今日、我々は、中華人民共和国をアフリカの最も強力な黒幕だと図示することができる。中国は、スーダンの首都であるカーツームの大量虐殺体制を支援し、新しいルアンダ空港(一日一万バレルの原油と引き替えに)のような大規模建築計画に着手し、コンゴ民主共和国の首都であるキンシャサの「ナンバーワン=スタジアム」を建設した。キンシャサには、太った毛沢東のようなローラン=カビラの巨大な黄金像があり、この都市はコンゴ川沿いではなく、長江沿いの都市のように見える(今年新しい国旗を採用するまで、中国の国旗をコンゴ民主共和国が模倣していたのも見逃せない)。 国家資本主義 旧ソ連邦とは異なり、中国は閉鎖的な国家資本主義(毛沢東時代)から輸出を重視した新自由主義モデルへと上手く変化した。中国は、その急速な経済成長と安価な商品--中国共産党が管理している--のおかげで、二〇一〇年までに世界最大の製造力を持ち、米国を追い越すと考えられている。 この資本主義的急成長は、労働者階級と農民の残忍な弾圧を背景に築き上げられた。ストライキは非合法であり、反体制派は殺害され、トップ二〇%の世帯が都会の総収入の四二%を獲得している一方で、二〇%貧困者はたった六%しか獲得していない。 階級闘争は急増している。ストライキは、一九九二年には八一五〇件だったが、一九九九年には一二万件へと増加した。昨年四月、浙江省金華市花渓(Huaxi)の村民が警察と地元当局と白兵戦を繰り広げ、警察と当局を撃退した。一二月には、広東省汕尾市東州(Dongzhou)で、発電所建設用地として土地を押収されたことに抗議した二〇人の村落住民を警官が殺した後、数百人の村落住民がダイナマイトと火炎瓶を手に警察と闘った。中国共産党中央委員会に近い情報筋が昨年明らかにしたところによれば、昨年で約三百万人の労働者が抗議行動を行ったそうだ。 この国は、公式の最低賃金が一月六三米ドル(ベトナムと比較してみれば、ベトナムの田舎と都会ではそれぞれ四五米ドル、五五米ドルだが、これは昨年ベトナムの労働者が共産党のボスに対して山猫ストを行って勝ち取った水準である)であり、おそらくは世界最悪の鉱業死亡記録を持っており(公的な新華社通信の数字によれば、二〇〇五年だけで炭坑で五九八六人が死亡し、一部の例では、炭鉱労働者がダイナマイトで武装してボスを攻撃した場合もあった)、さらに、ナイキやマクドナルドのような多国籍労働搾取事業が「排他的経済特別区」で操業している。 テロと弾圧が国内経済を刺激している一方、中国の資本家支配階級は安価な労働・原料・燃料供給を求めて国外に目を向けている。アフリカは、一九七〇年代に始まった世界的経済危機で経済的に主流から外れてしまったが、ここに来て突然有望な場所になった。二〇〇五年、アフリカ全体の経済は五%の成長を見た--これは数十年間で最も早い。これは、アフリカにある原材料に対する需要が急騰したからであり、中国からの需要が重大な役割を果たしているからである。一九八〇年代と一九九〇年代、アフリカは投資地図から外れていた。一九九五年にアフリカへの民間投資は「第三世界」諸国に対するあらゆる民間直接投資の一%にも満たなかった。中国(そして南アフリカ)の資本家は、次第にこの隙間を捕らえていったのであり、現在、潮流は逆転しているのである。 アフリカにおける中国 中国は、アパルトヘイト時代、南アフリカの解放運動やジンバブエのような近隣諸国の解放運動に資金提供していたにも関わらず、南アフリカと内密に貿易をしていた。南アフリカとの公式的関係は一九九八年に回復した。 ステレンブーシュ大学中国研究センターのマーティン=デイヴィス所長(彼は上海に関心を持つビジネスマンでもある)によれば、昨年、中国とアフリカの貿易は、三五〇〇万米ドルまで急増していたという。中国の投資は主として石油産業、特にナイジェリア・アンゴラ・スーダン・赤道ギニアに集中していた。 こうした国々の厳しい状況が中国の独裁を悩ますことはなかった。赤道ギニアに民主主義が全くないことであれ、スーダンで国家主導の人種戦争が起こっていることであれ、アンゴラとナイジェリアで少数の支配集団が石油の富を露骨に強奪することで、それぞれの国で、UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)とニジェールデルタ解放運動とが分け前の一部を取り返そうとして、紛争に油を注いでいるという事実であれ、どうでもよいのである。 従って、人権活動家にとって、中国製武装ヘリコプターがスーダンのダルフルで民間人に対して使用されたからといって何ら驚くことではない。中国--コモロに電子情報収集所を整備している--は、一九九六年から二〇〇三年の間にジェット戦闘機を含む莫大な軍事支援をスーダンに提供し、一九九八年国境紛争勃発以前にエチオピアとエリトリアに大量の兵器を輸送し、ジェット機・軍用機・妨信設備(外部の放送を国内で聞けないようにするため)をジンバブエ政権に売っている。 南アフリカ 中国は、三二のアフリカ諸国が負っている負債の一〇億米ドル以上を破棄することで、アフリカにおけるその帝国主義を円滑に進めている。南アフリカ放送協会は今年、南アフリカと中国の貿易が毎年二六%成長している、と報道していた。 南アフリカは中国のアフリカにおける最大の貿易パートナーであり、過去六年間で貿易は四〇〇%増加している。南アフリカは鉄鉱石などの原料を供給し、加工品を受け取っている--そして、新しい貿易協定では、中国は繊維製品の輸出を制限するが、原子力のような領域での提携は強化されることになっている。逆に、英国などのような伝統的貿易相手と南アフリカとの貿易は縮小している。 だが、南アフリカの資本主義の強度と多様性を考えれば、中国との関係の重要性は比較的限定されている。一方、赤道ギニアのような弱い経済圏での中国の投資は非常に大きい。直接原料--例えば、OPECカルテル以外での原油--を確保することに中国が関心を持っていることを考えれば、こうした関係が増大し、アフリカのエリートが東アジアの権力との結び付きを強くする、と予想できる。アフリカは今や中国の原油輸入の約三〇%を提供しているのである。 連帯か、外来者恐怖症か だが、銃・鉱石・原油へのこうした投資は何を意味しているのだろうか?COSATU(南アフリカ労働組合会議)は、南アフリカ政府と中国政府との二重の攻撃に対して懸念を示している。輸入された安い中国製衣料が国に溢れかえることで(二〇〇三年以来、四八〇%増)、前々から脆弱だった国内繊維産業(同じ期間で六二〇〇〇の職が失われた)が崩壊しかねない、と警告しているのである。 昨年、COSATU指導部は狼狽した。支部の「南アフリカ衣料繊維労働組合」が会議の赤いTシャツが中国製であるという事実に対してデモを行ったのである。中国本土の繊維事業の多くは、中国からの輸入品に対する欧州と米国の数量制限を回避すべく、アフリカに移転した。だが、この事業は、アフリカに厳しい労働条件を持ち込むことが多い。同時に、COSATUとその同盟である南アフリカ共産党は社会主義国として中国を褒め称え続けているのである。 どちらの立場も間違っている。COSATUの「南アフリカ製品を買おう」キャンペーンは、安価な輸入中国製品を止めることはできないだろう。それは、反中国のレイシズムを促し、地元の労働者階級を悩ます有害な外来者恐怖症へと絡んでくる。これは、同時に、あらゆる南アフリカ人が、資本家も労働者も同様に、共通の関心を持っているとほのめかしている。だが、真実から目を背けることはできない:南アフリカの資本家は、南アフリカ労働者の友人ではないのだ。 さらに、ANC(アフリカ民族会議)のGEAR(長期マクロ経済成長戦略)政策は自由貿易を促しており、従って、輸入の波が有意義な条件で落ち着く見込みなどない。COSATUは、南アフリカ支配階級の道徳と愛国主義に無益なアピールを--何も達成しないアピールを--行い続けているのである。南アフリカの資本家は中国の資本家と協定を結んでいる。こうした競争相手が団結できるなら、何故、労働者階級が教訓を学び、中国の労働者を守ることができないのだろうか? 事業の核心」 既に述べたように、GEAR政策とNEPAD(アフリカ開発のための新パートナーシップ)政策はより多くの貿易・より多くの外国投資を引き込むことを目的とし、中国はどちらの提案にも合致している。逆に情報大臣(そして老齢の「青年共産主義者同盟」政治局員)ロニー=カスリルスは、「第三の目から見た中国:南アフリカの観点」というまことしやかな本--本の出版に当たっては、南アフリカにある中国商工会議所に資金援助してもらっている--で次のように熱狂的に述べている。百万人の人々を強制移住させることになるとして賛否両論ある長江の三つのダム建設計画を含めた中国の建築ブームは、「建設技師の『夢』である。」どうやらこれは良いことのようだ。「中国が持続可能な経済を維持しようとすれば、農村社会から都市社会への、農業経済から産業経済への移行を早めねばならない。」 国家最高のスピンドクター(情報を操作して民衆の心理を操る専門家)であるジョエル=ネッシテンジェは、同じ本の中で次のように主張している。「南アフリカと中国は、共通の目標を持っている。自国の市民全員に、より良い生活を保証することに全力を傾けているからだ。どちらも貧困水準を低下させることを目的としている。」国家が中国民衆を貧困にさせていることを考えれば、ネッシテンジェが何を考えているのだろうと訝しく思うことであろう。彼は、中国国家プロパガンダ機構の役割を褒め称えている。「中国が情報を利用して、共通の目的と共通のヴィジョンに人々を結集させる際の厳格さと焦点」を賞賛しているのである。 彼が中国メディアの「発言の多様性」を賞賛しているのを読むと骨の髄までゾッとする。その一方で、彼は、国家検閲、そして、中国が政治的反体制者を投獄することにヤフーのような西洋の検索エンジンが共謀していることを意図的に無視している。 南アフリカ共産党副書記長であり、ワンマンのシンクタンクであるジェレミー=クロニンは、さらに露骨だ。南アフリカ共産党は「現実に存在する社会主義」という泡が中国での国有企業の再編によって下水に流されることを恐れ、状況確認のために二〇〇一年に代表団を派遣した。 中国共産党の案内役は、疑いもなく、クロニンとその代表団を大喜びさせた。彼は、一九九九年の中央委員会文書を引用している。「国有経済を含む公有経済は、中国社会主義システムの経済的基盤である。(中略)中国は、社会主義社会の生産力を発展させ、国の産業化と近代化を実現するために、常に、国有企業の重要な役割に依存し、国有企業を十全に利用しなければならない。」中国は、社会主義であると同時に資本主義であるかのようではないか!このような混乱した思考をどのように判断すればよいのだろうか? 「国有企業を全般的に上手く管理するためには、事業の中に、市場経済の法則と中国の現状を合致させる指導体制と組織的経営的体制を構築し、指導体制の構築を強化し、党組織に事業の政治的中核としての役割を与え、労働者階級に対する心からの信頼という原則に従うべく努力がなされねばならない。」彼等は確かに「信頼」しているのだ。なぜなら、中国の奇跡は「心からの」搾取とテロの上に築かれているのだから! 政権交代? 従って、中国の共産主義は、結局の所、権威主義市場取引と経営リーダーが指導する近代化プログラムに過ぎない。経営リーダーは共産党のボスも兼務しているのだ!そして、党それ自体は、労働者階級に依存する少数の人民委員であることが明らかになっているのだ! クロニンは、代表団には、労働者の「民主的意志決定」と「自身の事業の長としての立場」について中央委員会が規定した責務が、どの程度まで党に指導されていたのかを「評価する充分な時間はなかった」と認めている。だが、彼は、こうした安っぽい言葉が書類に書かれていることが大事だと考えていたのだった。 クロニンは、「至るところに輝く充分明確な社会主義アジェンダ」を理由にこの体制を賛美している。「社会主義下に市場が存在すべきではないなどという理由は何処にもないのだ」と彼はご立腹だが、これは「新興の中小民営サービス業」の共存を認める自由主義的解釈である。社会主義が一体どこに「輝いている」のか判然としない。 こうしたごちゃ混ぜの経済思考から、混乱した政治が生まれている。この政治は、民衆のニーズにではなく、産業と市場の要件に基づいている。クロニンの観点では、公共部門の賃上げは、市場の需要を刺激するためだけに導入されたとしても、「社会主義」と見なされるのだ。 つまり、ANC/南アフリカ共産党政府は、世界最後の大規模全体主義国家との貿易を増やしているだけでなく、イデオロギー的にもその国家に傾倒しつつあるのだ。この国家は余りにも露骨に資本主義で、同時に反労働者であるために、クロニンの詩人としての技能を持ってしても残虐な現実を粉飾できない。南アフリカ共産党の国家資本主義への思惑は、最終的に、中国のお手本の中にネオリベラリズムとの上手い融合をまんまと発見したのである。 保護貿易政策か階級闘争か 中国の商品が安いのは、中国の労働力が安いからである。COSATUが地元の仕事を保護し--そして、国際労働者階級にその言質を示し--たければ、中国において労働組合を組織することを指示し、自国とアフリカ南部において階級闘争を構築すべきである。新自由主義的資本主義は、ある国の安価な労働力を他の国のさらに安い労働力に対抗させ、最も安い値になるまで競争させることで成長する。唯一の脱出方法は、国際連帯と階級闘争である。これは、国際的な最低賃金と世界共通の労働組合権を求めた闘争から始まる。 中国は階級闘争の誇るべき伝統を持っている。これは中国共産党と毛沢東を指しているのではない!一九一三年、アナルコサンジカリストは広東省に最初の労働組合を組織し、一九二〇年代には上海のような大きな産業中心地全てで、改良主義と共産主義の労働組合主義に挑戦した。武装したアナキズム農民運動は、一九三〇年代に、福建省から吉林省の満州までの帯状の莫大な地域を管理し、一九四〇年代に、アナキストのゲリラは共産主義者と共に日本の帝国主義に抗して闘った。 しかし、一九四九年の毛沢東主義クーデター後、中国の推定一万人のアナキスト労働組合主義闘士は地下に潜らされ、Chu Cha Peiのようなマフノ主義型ゲリラは雲南省の丘陵地へと退却を余儀なくされたが、彼等は、その場所で、毛沢東と将軍や国家資本主義者からなる側近たちとをリーダーとする新しい支配階級を悩ませ続けたのだった。 アフリカが次第に石油利権がらみの中国帝国主義の裏庭になってきている以上、まず第一に次のように問わねばならない。政府は、中国の強制的国内平和が持つ最悪の側面--自国の労働者階級にとって重大な挑戦になる発展--を真似しようとしているのだろうか? アナキズムか、マルクス主義か 我々は、中国における「資本主義の復興」を終わらせたいと願っている左翼主義者に従うつもりはない。中国は毛沢東が権力を掌握してからずっと資本主義だった。いかなる中国の革命運動もマルクス主義とその変形版である毛沢東主義とを放棄しなければならない。また、我々は、中国が実際に「社会主義」だ--南アフリカ共産党指導部はそう考えているかも知れないが--などということにも同意できない。 資本主義は階級システムである。階級システムとは階級闘争を意味する。遅かれ早かれ、中国の労働者階級はその誇るべき闘争の伝統を再発見し、寄生虫の党指導部と資本家を除外して自身の事柄に責任を持つ--中国語で wuzhengfgu gonchan、つまり、政府のない共同生産、要するに無政府共産主義--ようになり、中国共産党を葬り去ってしまうだろう。 だが、その日が来るまで、我々が問わねばならないもっと重要な質問が一つある。この問いは国境を越えた示唆を持っている。つまり、中国は英国に代わって南アフリカの帝国主義権力になるのか?ということである。いわば、政権交代なのか、ということである--南アフリカは、中国の資本主義利権を保護するために、アフリカでの軍事遠征に着手することになるのだろうか?あらゆる本物の反帝国主義者は、アフリカが将来米国に後押しされた西洋の拡張主義利権と中国の拡張主義利権との戦場になる可能性を考え、それに対して計画し、石油王たちに対して闘争しているアフリカ大陸の人々と団結しなければならないのだ。

[TRANSLATION: Japanese]: Lucien van der Walt, 黒い炎を灯す 世界的なアナキズムとサンジカリズムの歴史と政治

Lucien van der Walt, 黒い炎を灯す 世界的なアナキズムとサンジカリズムの歴史と政治, via of this via here which is edited version from here. (Lighting a Black Flame: The history and politics of global anarchism and syndicalism) 黒い炎を灯す 世界的なアナキズムとサンジカリズムの歴史と政治 2010年 11月2日にブラジルのサンパウロで行われたルシアン・ヴァン・デン・ヴォルト氏のトーク書き起こしです。本日来てくれたみなさんに感謝する。祝日であることはわかっている。なので、来てくれてありがとう。さて、『ブラック・フレイム』の内容は膨大だ。本書全体を語るとなると複雑な話しになる。議論の時間になればいろんな議題に関して深く掘り下げることがで きるかもしれないがトークの中では主要なテーマについて強調して話をしていく。ちなみに本書には続きがある。『ブラック・フレイム(黒い炎)』が第一巻で、第二巻が『グローバル・ファイヤー(世界的な火』である。 つまり本書は大きな企画のなかの基盤であり、アナキズムの歴史とその分派、革命的サンジカリズムまたはアナルコ・サンジカリズム、つまりアナキズムによる労働組合運動などのテーマに絞っている。 用語について 私がサンジカリズムと言うとき、英語の使い方に沿った特定の意味を指す革命的サンジカリズムまた はアナルコ・サンジカリズムを意味していることを理解してほしい。決してローマ系言語における労働組合一般をさしているわけではな いので注意してほい。あと、私がアナキズムと言うとき、大抵はサンジカリズムを含んでいる。サンジカリズムはアナキズムの一部であるからである。 このような本、つまりアナキズムを扱い、しかも(アナキズムの歴史を扱う際におちいりがちな)ヨーロッパの一部に注目するのではなく真に世界的な視点に立つ場 合、必要なのは主題を注意深く定義することである。 結局、アナキズムとは何か? 「アナキズム」とそれ以外を分ける境界線をどこに置くかはとても重要だ。これは分析と調査において大事なことだ。勝手な線引きをして特別な印象を与えようとするという話ではない ゆるやかな定義の問題点は研究の対象となる明確な主題がないことにある。含めるものと除外するものがあいまいになり、恣意的で不合理なものとなる。英語では、ピーター・マーシャルによるよく知られた調査がある。これはで重要な本であるしかしアナキズムの定義はとてもゆるやかなものである。アナキストであることは「権威」に、特に政府の「権威」に反対することであるといった定義だ。「権威」がなんなのか ここでははっきり定義されていない。これから私が明らかにするように、理由がなんであれ、政府に反対することすなわち誰かが、あるいは何かがアナキストであることを定義する十分な根拠とはなりえない。 この手法を用いて マーシャルが政府介入に反対したという理由で新自由主義者のマーガレット・サッチャー、またはカストロ政権の官僚主義に多少批判的であったという理由でマルクス主義者のチェ・ゲバラをアナキズムの研究の対象としたことがわかる。この二人は政府を大切にしていたが、特定の形態に限って反対していたのだ。 思い出して欲しい、サッチャーは賃金を下げ、収入を富裕層に移行することで産業をつぶすことによってイギリスの福祉国家や労働組合を破壊したのだ。政府に反対したといっても、自由市場への介入に反対したに過ぎない。抗議行動参加者やストライキをした労働者を殴るためやフォークラ ンドを侵略するためなら喜んで政府の力を使ったのだ。ゲバラにしても、ジョセフ・スターリンを敬愛し、ロシア独裁と協力し、秘密警察を備えた1党制の政府をキューバに建てる手伝いもしたのだ たしかにカストロ政権の要素のうち反対していたこともあったが、ゲバラ自身が建立や維持に貢献し、見捨てることはなかったのだ。 「反政府」にとどまらない アナキズムを政府に「反対」することだと定義し、「反対」する方法もゆるやかで曖昧な使い方をするならば(政府の廃止を望むのではなく少しの変化を望むことも含まれることになるだろう)、当然サッチャーやゲバラもそのアナキズムの一部とすることが合理的である。 しかし同様に、マーシャルと同じく新自由主義者やマルクス・レーニン主義者を難なくアナキズムの一部として扱うアナキズムの研究は可能であるが、ここには論理的な問題が発生する。 特にアナキズムを単なる反政府主義として、またあいまいな「個人」の「自由」を尊重するものであるとゆるやかに定義すると、その他の思想(特に新自由主義やマルクス・レーニン主義)と切り分けて考えることが難しくなってしまう。そいて新自由主義やマルクス・レーニン主義とアナキズムを分けることができないなら、アナキズムの潮流が存在したと明らかにすること自体がかなり難しいこととなる。 … Continue reading [TRANSLATION: Japanese]: Lucien van der Walt, 黒い炎を灯す 世界的なアナキズムとサンジカリズムの歴史と政治

Lucien van der Walt, [2008] 2019, “Foreword,” to “Freedom for All: An Introduction to Anarchism” (Zabalaza Books)

Lucien van der Walt, [2008] 2019, "Foreword," Freedom for All: An Introduction to Anarchism, Zabalaza Books, Johannesburg, second edition, pp. 3-4, from HERE. FOREWORD Freedom for all, and a natural respect for that freedom. Such are the essential conditions of international solidarity. – Bakunin Over the last few years, the resurgence of revolutionary anarchism has caught … Continue reading Lucien van der Walt, [2008] 2019, “Foreword,” to “Freedom for All: An Introduction to Anarchism” (Zabalaza Books)

[CHAPTER]: van der Walt & Moussouris (2020), “Anarcho-syndicalism and Union Education in South Africa: A Critical Evaluation of the Congress of South African Trade Unions (COSATU) Tradition”

Lucien van der Walt and Mandy Moussouris (2020), “Anarcho-syndicalism and Union Education in South Africa: A Critical Evaluation of the Congress of South African Trade Unions (COSATU) Tradition,” in Linda Cooper and Sheri Hamilton (eds.), Renewing Workers’ Education: Towards a Radical, Alternative Vision, HSRC Press: Cape Town, pp. 199-214. PDF of this chapter HERE  

[ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 2000, “The Neo-Liberal Agenda: GEAR versus the working class,” Anti-Privatisation Monitor

Lucien van der Walt, 2000, "The Neo-Liberal Agenda: GEAR versus the working class," Anti-Privatisation Monitor, number 2, pp. 12-13. PDF HERE

[ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 2000, “Wits 2001: Privatisation at Wits University,” Anti-Privatisation Monitor

Lucien van der Walt, 2000, "Wits 2001: Privatisation at Wits University," Anti-Privatisation Monitor, number 1, p. 3. PDF HERE

[ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 1992, “SAP: To Serve and Protect, to Torture and Kill”

Lucien van der Walt, 1992, "SAP: To Serve and Protect, to Torture and Kill," Revolt, number 2, pp. 18-19. Note: This was heavily reliant on reporting by the Mail and Guardian/ Weekly Mail at the time. The South African police continue to assault, torture and kill people in custody. The brutal death of Simon Mthimkulu … Continue reading [ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 1992, “SAP: To Serve and Protect, to Torture and Kill”

[ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 2002, “Seeing Red (and Black) at the WSSD”

Lucien van der Walt, 2002, "Seeing Red (and Black) at the WSSD," Zabalaza: A southern African journal of revolutionary anarchism, number 3, p. 2. PDF HERE Let us be clear on one thing. The UN's World Summit on Social Development (WSSD) - which will take place in Sandton [South Africa] from 26 August to 4 … Continue reading [ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 2002, “Seeing Red (and Black) at the WSSD”

[TRANSLATED]: Lucien van der Walt, [1998] 2020, “Os Coletivos na Espanha Revolucionária”

Lucien van der Walt, [1998] 2020, "Os Coletivos na Espanha Revolucionária" Translation of this, by joaoxavier https://medium.com/@joaolucasxavier?source=follow_footer-------------------------- Notas: Em 19 de julho completaram-se 84 anos do início da Revolução Espanhola. Abaixo segue um recorte sintético da organização econômica descentralizada do período revolucionário compreendido entre julho de 1936 e junho de 1937. Trecho do ensaio “Como uma … Continue reading [TRANSLATED]: Lucien van der Walt, [1998] 2020, “Os Coletivos na Espanha Revolucionária”

[ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 1998, “The Collectives in Revolutionary Spain”

Lucien van der Walt, 1998, “The Collectives in Revolutionary Spain" Published at struggle.ws, and drawing on this paper. The Spanish Revolution began in the aftermath of a failed fascist coup by General Franco on the 18 July 1936. The coup, which was sponsored by conservative sections of big capital and the Church, failed in most … Continue reading [ANALYSIS]: Lucien van der Walt, 1998, “The Collectives in Revolutionary Spain”

[TRANSLATION]: Lucien van der Walt, 2008, “Che Guevara Kritikája Anarchista Szemszögbol”

Hungarian translation included in this PDF.  An English, expanded, version is here. Elvtársak, a tény, hogy Che Guevara képes ikonnak maradni a baloldalon tökéletesen rámutat arra, hogy (ahogyan ezt valaki már megmondta) „a halott generációk tisztelete képes úgy bennragadni az élők elméjében, mint akármelyik rémálom”. Che alakja tökéletesen példázza egy generáció tragédiáját: bátor, önfeláldozó, szenvedélyes, harcos … Continue reading [TRANSLATION]: Lucien van der Walt, 2008, “Che Guevara Kritikája Anarchista Szemszögbol”

[REVIEW]: Lucien van der Walt, 1994, “A Place in the City: The Rand on the Eve of Apartheid, Luli Callinicos”

REVIEW: Lucien van der Walt, 1994, “A Place in the City: The Rand on the Eve of Apartheid, Luli Callinicos, 1993, Ravan Press and Maskew Miller /Longman,” Unrest, number 1, p. 24. A Place in the City: The Rand on the Eve of Apartheid. Luli Callinicos. 1993. Ravan Press and Maskew Miller /Longman. 139 pages.R40.Available at large CNAs … Continue reading [REVIEW]: Lucien van der Walt, 1994, “A Place in the City: The Rand on the Eve of Apartheid, Luli Callinicos”